University of Tokyo – Department of Architecture

50th anniversary party of 1966 alumni

7月19日(火)、1966年卒業生による50年会が開催されました。

卒業生を代表して村上元康様より盛会の模様のレポートを、また同年の卒業生である名誉教授の坂本功先生よりお写真をいただきました。


昭和41年卒・木葉会50年会に参加して
2016・7・19 村上元康記

東京大学を卒業し、早や50年経ち、節目の建築学科の同窓会・木葉会に参加しました。
私は京都在住なので新幹線で昼頃に東京着、駒場キャンパスを訪れました。教室群は昔の面影を遺していましたが、私が暮らした駒場寮は跡形もなく、駅前の商店街で別嬪のお姉さんがいて太いソーセージが美味かった伊藤精肉店や、ハイボールを初めて飲んだバー・クレモナなどが見あたらないのは当然ながら寂しい。駅の看板に東大ラグビー部の勧誘があります。そのグラウンドを見に行きましたが、1年間をすごした駒場でのラグビー部の寮生活が懐かしい。あの頃、石原慎太郎の小説「青春の樹」で祇園の舞妓さんと東大生のラガーマンの恋愛小説を描いていて、私がモデルかと思った?
しかしながら、体育会系のクラブ内では、当時の岸内閣の安保法への批判も関心もなく、膝も痛めたのでラグビー部をやめ、東大新聞へ就職しました。駒場寮への入寮の世話をしてくれたのは中学からの一年先輩の山本義隆さん。私たちが卒業した後ですが、大学闘争の時の東大全共闘議長です。私が1年生で駒場祭のたこ焼き屋をやっていた時に、山本さんが彼の高校での同級生の奥さんと出会い、私はキューピッド役をしました。今も駿台の名物教授で活躍されているのかな?
お洒落な学生食堂で昼飯にピザを食べる。女子学生が多いのが私たちの時とは違う。
渋谷から地下鉄で本郷三丁目へ。赤門を潜って三四郎池へ。大学受験の時にここで初めてピースの両切りを吸った。フラフラした。漱石の小説・三四郎のことしか知らなかったが加賀前田家の庭園だったのですね。大学構内に大名庭園があるのが素晴らしい。
1号館の前で皆さんと集合。26名。卒業時は38名なので出席率が高い。石井君は奥様娘さんお孫さんと参加。1号館は辰野金吾の設計の校舎が関東大震災で焼失後、内田祥三先生の設計で1935年竣工、後1997年保存と増築工事がなされた。その設計は香山壽夫先生で、そのお弟子さんの千葉学東大副学長から説明をいただく。中庭を取込んだ吹抜けの製図室と、北側の外壁を遺した図書室などの増築部、耐震補強もなされている。製図室には学生たちが布団を持ち込んで徹夜をするので乱雑を極める。私たちの頃と変わっていないですね。私は独りで下宿で設計課題をして、期限オーバーで随分苦労しました。
図書室には女子学生が多い。私たちの同期生には女性はいなかったと思いますが今は!
昔のおもかげのある廊下を歩いていて思い出すのは、丹下健三先生の作品の模型群が並んでいたこと。あの頃はデザインボードがなく、すべてバルサや堅木の木製の細工であった。私の下宿の隣の部屋に丹下研の大学院生の井山さんという人がいて、代々木体育館の図面をみせてくれて感激した記憶があります。あの東京オリンピックの時は妻がロシア語の学生で、スポーツ新聞の通訳のアルバイトをしていて、チャスラフスカなどにインタビユーして結構なバイト料を稼ぎ、随分ご馳走してもらった思い出がある。
千葉先生に改修された安田講堂を案内してもらう。大学闘争後、約20年間閉鎖されていた。私たちの頃は入学式と卒業式だけに入った記憶がある。
私は建築学科で皆さんより1年留年したので、大河内学長が卒業式で「太った豚より痩せたソクラテスになれ」という挨拶をされたのが印象的でした。千葉先生の監修、香山先生の改修設計で、耐震補強が細心なデザインでなされているのに感服する。当初の内田祥三先生の設計で、なぜスクラッチタイルの色が安田講堂だけ他の校舎と違うのか少し気になった。
懇親会場は赤門の南隣、旧学士会館分館の跡に建てられた伊藤国際学術研究センター。設計は香山先生。イトーヨーカドーの創業者の寄付によるというが、わが同期の横山君が東大の特任教授として建設のプロマネをしたという。煉瓦造の旧史料編纂所で横山君の改築計画を聴き、煉瓦の正しい積み方で耐震性が確保されていることを聞く。熊本城でも穴太積のコーナーの石組が持ち応えていたのを見た。しかし地震の破壊力はそれ以上のものであることを、熊本地震の余震、本震の繰り返しで知らされた。

2階の懇親会場ではパーティに先立って、香山先生に本郷キャンパスの歴史のお話をしていただく。工学部1号館の周りにコンドルら外人教授の住宅があったとか、前田伯爵邸のあった赤門付近、とりわけ現在の学士会館分館跡は最後に寄贈された土地であるとか、充分な風土の調査の上でキャンパスの整備をされたことがよくわかりました。この50年会では、香山先生と千葉先生とには、私たちのわがままなお願いにもかかわらず、案内や講義をしていただいて、まさにおんぶにだっこで、大変感謝しています。

懇親会では写真は名誉教授の坂本君が担当、同じく名誉教授の小谷君はやむを得ぬ事情で、残念ながら欠席。最年長の渡邊さんはもう80歳という。私たちの同期生は皆さん長生きで元気です。幹事をしてくれた須古君、水野君、同じく関西出身の中地君に感謝。私と日建設計卒業の棚橋君の二人が、大阪からはるばる出席したというので喋らせてもらいました。年をとったので、立食バイキングでなくテーブルに座っての会食なのが有難い。

同席は松平君と吉岡君と渡邊さん。前記のお2人は50年ぶりで懐かしい。松平君は坂倉事務所に勤務されていたという。まだ仕事をしていて親御さんの介護も大変らしい。
私の従姉も脳梗塞による半身不随で自宅と施設を往復している。東大建築学科の関西への修学旅行で京都を訪れた時、祇園のお茶屋さんへ遊びに行ったが、そこの女将さんでした。

俺は行っていないという人もいるので、今回は訪れようかと思ったのですが残念でした。50年目の同窓会でいろんな方ともっとお話ししたかったのですが、次はいつ会えるのかもう会えないのか、複雑な想い。須古君がとりあえずの連絡係で、三ヶ月に一度開催のミニ同窓会に機会があれば出席するかも。