50th anniversary party of 1965 alumni
平成27年6月18日(木曜日)、昭和40年卒業生による50年会が開催されました。
会は伊藤国際学術研究センターにて行われ、総勢30名の盛会となりました。
卒業生の大井清嗣様より、盛会の模様のレポートとお写真をいただきました。
1965年卒業生の50年会
2015年6月18日(木)夕刻、赤門脇の旧学士会館別館の跡に最近できた伊藤国際学術研究センター内ファカルティークラブにて、昭和40年度卒(昭和38年度進学)の30名が一堂に会し、卒業50周年を祝いました。ただ、50周年と言っても特別な感慨・企画はなく、いつもの5年ごとの会の延長線上の一つのように過ぎて行きました。
私たちの学年の特徴は、都市工学科が出来る前の最後の学年ということで、高山・川上研、丹下・大谷研が建築の中にあり、したがって卒業生の幅も広いということでしょうか。
私たちは、10年会では当時売れっ子だった歌手芹洋子、サンディ・アイを呼んで綱町三井倶楽部で行い、20名の先生方にも大変喜んでいただきました。次の20年会では真梨邑ケイを呼びましたが、以降は地道に5年刻みでやってきました。毎回の出席数は卒業生が30名程度、先生方は10名前後でしたが、35年会の時にある先生から「35年会まで恩師を呼んでいるのは珍しい」と言われまして、そこでやっと先生方にお声がけしなくても良いのだ、と気づきました。30年会を過ぎるころから設計賞、学会賞他の受賞者のお祝いや、外国や支店などで出先長を務めていた人たちの帰還のお祝いなどがあり、5年ごとの周年会の間で1,2年おきに集まる機会が生まれ、結構頻繁に集まる結果となっています。
45年会では「もうボチボチ皆、時間的に余裕が出来てきたので泊りにしよう」ということで「箱根1泊ゴルフ付き」を実施しましたが、やはり出席率は16名と半分近くに落ちました。その後は“会合は平日の夜に都内で”という原則に戻しました。2014年6月には伊東さんのプリツカー賞のお祝いをしましたが28名が集まり盛況でした。
今回の50周年会では、昭和38年度に本郷に進学した時の44名のうち、10名が鬼籍に入っており、34名中30名の出席でした。会では特に特別なことは計画せず、出席者全員が近況を報告することで進めました。しかしながら皆72~74歳、話し出すととめどなくなる者が多く、時間を延長してどうにか納まるありさまでした。また聴いている方も疲れて早退する者も少なからず、“老齢化集団”の会合の運営の難しさを悟りました。次回からは一同に会してそれぞれが心行くまでで語り合う、ということになりそうです。
卒業50年経ってもまだまだ現役、社会とのかかわりが続いている人も多く、昔を懐かしむ同窓会になるのにはまだ少々時間がかかりそうです。